科学は安心を保証しないが、不安は簡単に物語になる

科学は安心を保証しないが、不安は簡単に物語になる

食の分野は、不安と非常に相性がいい。

「体に悪いかもしれない」「知らないうちに毒を摂っているかもしれない」。
こうした不安は、理屈よりも感情に直接刺さる。そして感情は、商品としてとても扱いやすい。

オーガニック信仰や無添加信仰が生まれる背景には、こうした構造がある。

だが、自然だから安心、という考え方は幻想だ。

自然界には毒がいくらでも存在する。毒キノコ、フグ毒、トリカブト、ボツリヌス菌。いずれも自然由来だが、人体にとっては明確に有害だ。「自然=安全」という発想は、科学的なものではなく、人間の感情が作り出したイメージに過ぎない。

それにもかかわらず、「自然」「天然」「ナチュラル」といった言葉が付くだけで、安全そうに見えてしまう。この思考のクセこそが、オーガニックや無添加をめぐる神話の土台になっている。

21世紀の今、化学肥料や農薬を「危険だ」と一括りにするのは、正直かなり雑だと思う。

現在使われている農薬や肥料には、使用量や使用時期、残留基準が細かく定められている。特に日本は基準が厳しく、市場に流通している野菜を普通に食べて健康被害が出る可能性は、現実的にはかなり低い。

「化学」という言葉に対する嫌悪感は、おそらく20世紀の記憶の名残だろう。高度経済成長期の公害や、制御されていなかった時代の負のイメージが、そのまま今も引きずられている。

そもそも、化学肥料がなければ、今の世界は成立していない。

20世紀初頭、ハーバー・ボッシュ法によって空気中の窒素から肥料を人工的に作れるようになったことで、農業の生産性は飛躍的に向上した。単位面積あたりの収穫量は増え、農業は天候や土壌への過度な依存から解放され、安定した食料供給が可能になった。

その結果、人口は増え、都市が発展し、今の文明が形作られた。現在生きている人類の約半数は、化学肥料由来の窒素に支えられているとも言われている。

この現実を象徴的に示したのが、スリランカの事例だ。

スリランカでは2021年、大統領の判断で化学肥料と農薬の輸入を一気に禁止し、完全オーガニック農業へ移行しようとした。しかしその結果、米の収穫量は大幅に減少し、主力輸出品である紅茶の生産も落ち込み、食料価格は高騰し、外貨不足も悪化した。理念としては美しく聞こえた政策は、現実の食料供給という前では完全に破綻した。

そもそも、オーガニックだからといって農薬を一切使っていないわけではない。オーガニックとは「農薬ゼロ」ではなく、使える農薬や肥料を制限した農業だ。つまり、オーガニックであること自体が、特別な安全性を保証するわけではない。

オーガニックの方が栄養価が高い、という話もよく聞く。研究によっては、ポリフェノールやビタミンがわずかに多いという結果もある。しかし、それは日常生活で体感できるほどの差ではない。

それよりも、品種や鮮度、収穫時期の方が、栄養に与える影響ははるかに大きい。

こうした背景を踏まえると、最近いくつかの自治体で、学校給食にオーガニック野菜を積極的に導入しているという話には、どうしても違和感を覚える。正直に言えば、自分の税金がそのために使われているのだとしたら、あまり気持ちの良いものではない。

例えるなら、学校で使うパソコンを、すべてハイスペックなMacに置き換えるようなものだ。

確かにMacは性能も高く、デザインも洗練されている。使っていて気分が良いのも事実だろう。だが、調べ物をする、レポートを書く、基礎的なIT教育を行うという目的において、そこまでの性能が本当に必要かと問われれば、多くの場合はそうではない。

同じように、オーガニックだからといって、明確に安全性や栄養価が高いわけではない。現在の日本で流通している「普通の野菜」は、すでに厳しい基準のもとで管理されており、給食として十分に安全だ。それにもかかわらず、「オーガニックのほうが安心そうだ」というイメージを理由に、追加のコストを税金で負担する合理性は、どこにあるのだろうか。

個人が自費でオーガニックを選ぶのは自由だ。しかし、公共の場で、しかも全員が負担する税金を使ってまで導入する必然性があるのかは、冷静に考える必要がある。

次に、無添加について考えてみたい。

この言葉には、不思議な安心感がある。体に悪いものが入っていない、自然で、安全で、健康的。だが、この言葉ほど曖昧で誤解されやすい表現もない。

「無添加」には、統一された厳密な定義がない。何を添加していないのか、どこまでを添加と呼ぶのかは、商品ごと、メーカーごとに異なる。保存料無添加、着色料無添加、化学調味料無添加。これらはすべて無添加だが、何も入っていないわけではない。

そして、添加物=悪という考え方も正しくない。食品添加物は、食中毒を防ぎ、品質を安定させ、味や見た目を一定に保つために使われている。日本で使用が認められている添加物は、毒性試験や安全評価を経て、使用量が厳しく管理されている。

皮肉なことに、無添加だから安全とは限らない。保存性が低く、腐敗しやすく、菌が増殖しやすい場合もある。状況によっては、適切に添加物を使った食品の方が、リスクが低いこともある。

それでも無添加が好まれるのは、「余計なものが入っていないから安心そう」「子どもに食べさせても大丈夫そう」という感情が強く働くからだ。理屈よりも、感情に訴える力が圧倒的に強い。

だからこそ、無添加やオーガニックはマーケティングとして非常に使いやすい。否定しづらく、説明も不要で、高価格でも納得されやすい。「何が悪いのか」は説明されないまま、「入っていないから良い」という構図だけが残る。

本当に重要なのは、無添加かどうかではない。原材料は何か、保存や流通の管理は適切か、自分の生活リズムに合っているか、食べ過ぎていないか。添加物の有無よりも、食習慣全体の方が、健康への影響ははるかに大きい。

たしかに、オーガニック野菜は手間がかかり、丁寧に作られていることが多い。それ自体は事実であり、オーガニック農家を否定するつもりはまったくない。

それ自体を選ぶ自由は尊重されるべきだ。
しかし同時に、「不安」を過剰に煽り、恐怖を根拠に商品を売るビジネスには注意が必要だ。

科学は「絶対の安全」を約束しない。
だが、不安は簡単に敵を作り、簡単に物語になる。
そして物語は、ときに事実よりも強く信じられてしまう。

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