本なんていくらでも書ける

本なんていくらでも書ける

1冊目の本を出版してからまだ1年経っていないのだが、そろそろ2冊目の本を出版できそうなくらいに、ブログの記事が増えてきた。

あと数記事書いたら前回の本と同じ文字数になるので、また本を出そうかと思う。

自分で思っていたよりもだいぶ早いペースで2冊目の本が出せそうだ。

だがよく考えてみたら、それも必然なんだなということに気がついた。

なぜかというと、僕は楽をするためにまあまあ必死こいて色んなことをやっているから。

僕は子供の頃から、楽をすることしか考えていない。

もしサッカー選手になりたかったら、ずっとサッカーの練習をしなければならない。

周りの人間が引くくらいには練習しないとサッカー選手にはなれないだろう。(もちろんそれでもサッカー選手になれない人もたくさんいるだろうが)

楽をするというのもそれに近いのではないかと、僕は思う。

なぜなら楽をして生きていきたいと思っている人間はたくさんいるが、実際に楽な人生を送れている人間はあまりいないだろうからだ。

会社に行きたくなくて、もっと痩せたくて、人間関係でもストレスを抱え、もっとお金が欲しくて、ほとんどの人間がそんな風に人生を過ごしている中で、自分だけ楽をしようと思ったら、周りの人間と同じことをやっていてはダメなのだ。

要はサッカー選手になるくらいに必死こいてやらなければいけない。

必死こいてやるということは、いろんなことを勉強して、いろんなところへ行き、いろんな人と出会い、いろんなことをやるということだ。

そしてたくさん失敗して、そこからまた学び、次に生かす。

それをずっと繰り返していく。

楽をするということとは矛盾しているようだが、それをやるしかない。

自分だったら、大体何をやってもうまくできちゃうよ、こんなの余裕だし楽勝だよ、と言える人間になってしまえば人生は楽なのだ。

それができないからみんな楽な人生を送れない。

楽できない状況というのはキツいだろう。

これは自分には難しい、これは自分にはできない、この状況は嫌だ、となるから楽でなくなってしまう。

そして当たり前だが、全てを完璧に楽勝でできる人間など存在しないし、そんな風にはなれない。

なので、そのうまくいかない事柄や、難しい状況に対しても、それをおもしろいと思えるようになってしまえば良い。

それができるようになると人生はとても楽になる。

そして、そうやっていろんなことをやっているということは、いくらでも本を書けるということだ。

画家の葛飾北斎は、70歳を過ぎてから、「やっとマシな絵を描けるようになってきた」と言い、90歳近くで死ぬ直前に「もう少し時間があればもっと良い絵が描けるのに・・」と言い残しこの世を去ったと言われている。

ずっと絵を描き続けた北斎ですら、死ぬまで学び続けていたのだ。

当然、僕らのような凡人は一生続けても全然足りないだろう。

そう、書くことなど無限にある。

逆に言えば本を書けるくらいにいろんなことをやっていれば、人生は楽になるのだ。

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