自分の人生がうまくいっている人間はハッピーエンドを望み、うまくいっていない人間はバッドエンドを望む

自分の人生がうまくいっている人間はハッピーエンドを望み、うまくいっていない人間はバッドエンドを望む

映画やアニメ、物語のエンディングにはハッピーエンドとバッドエンドが存在する。

そしてみんな、自分自身の人生と無意識に重ね合わせているのだと思う。

人生が順調な人たちは、ハッピーエンドの物語に安心感や共感を覚える。自分の幸せな現状と物語の結末がリンクし、より一層幸せな気分になるのだろう。

逆に、バッドエンドのストーリーを見れば、「こんな終わりは悲しい」「登場人物には幸せになってほしかった」と強く感じる。
彼らはハッピーエンドを“正しいもの”だと信じている。すべての人が幸せになるべき――それが自然で当然の結末だと。

一方で、人生に不満を抱える人たちは、ハッピーエンドの物語に素直に共感できない。
「現実の人生は映画とは違う」「こんなふうにうまくいくわけがない」と冷めた目で見てしまうのだろう。たとえそれがノンフィクションであっても、「うまくいくのは一部の特別な人間だけ」「運がいい人にしかできない」と考えてしまう。

そうすることで、現実の自分の人生を肯定したい――そんな心理が働いているのだと思う。

「これが現実だ」「しょうがない」と思うことで、今の自分を受け入れ、諦めに似た安心感を得ようとするのだ。

人間は無意識のうちに、自分と似た境遇の人たちと集まる傾向がある。
例えば、痩せられない人同士が「やっぱりダイエットは難しいよね」と言い合ったり、会社に不満を持つ人たちが集まって愚痴をこぼしたりする。そこには、他者と共感し合うことで自分を肯定するという心の動きがある。

「自分だけじゃない」「みんなもそうだ」という安心感が、心の重荷を少しだけ軽くしてくれるのだろう。

傷の舐め合いは居心地がよく、抜け出しづらい場所になってしまうこともあるが、それはある意味、人間らしい感情だとも言える。

では、僕たちはどちらを望むべきなのか?

ハッピーエンドを肯定しすぎることも、バッドエンドに浸りすぎることも、どちらも極端すぎるかもしれない。

大切なのは、自分自身がどんな人生を送りたいのかを考えることではないか。

物語のエンディングは、作者が作り上げたひとつの形だ。しかし、現実の人生は自分自身で選び、作り上げるもの。どんな困難があっても、「自分なら乗り越えられる」と少しだけ信じてみる――それだけで、見える景色が変わるかもしれない。

ハッピーエンドでもバッドエンドでも、物語はあくまできっかけだ。
物語に触れることで自分の人生を振り返り、「このままでいいのか?」「どう生きたいのか?」と考える時間にこそ、意味のあるのだと思う。

僕たちの人生は、僕たち自身が物語を紡ぐ主人公だ。
自分なりの“エンディング”に向かって、少しずつでも前へ進んでいこう。

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