楽をするということ

楽をするということ

僕の目標は死ぬまで楽な人生を過ごすことだ。

楽な人生というのは、楽をして生きていくということだが、では、楽をするというのはどういうことなのか?

僕は「楽」というのは漢字も同じであるように「楽しい」と似ていると思っている。

楽しいことをしている時は、辛くないし、苦しくもない。

もちろん自分が好きなことを仕事にしても、辛い時や苦しい時というのはある。

でも自分が楽しいと感じている時は、辛くないし、苦しくもないので、「楽」なのではないかと思う。

なので、僕は自分の人生を最高に楽しみたいと思っている。

ここで大事なのは、何が「楽」なのか、何が「楽しい」のかは、人によって違うということだ。

ずっと引きこもってダラダラするのが楽だと思う人もいれば、外に出て人に会うのが楽しいと思う人もいる。

家事や仕事を誰かにやってもらうのが楽だと考える人もいれば、家事をすることでリフレッシュできると考えたり、仕事をすることが何よりも楽しいと考える人もいる。

そして問題は、自分が楽しいと思っていることだけをやっていては、生きていけないということだろう。

例えば仕事や家事や人とのコミュニケーションというのは、ほとんどの人間の人生にとって、必要不可欠だ。

だから、そういったことをあまりしなくても生きていける「お金持ち」になれば楽をして生きていけると考えるのだろう。

だがお金持ちになったとしても、そのお金を失ってしまったら、あるいはそのお金に価値がなくなってしまったら、楽な人生は送れなくなってしまう。

なので、僕が考える最高に楽な人生というものに対する今のところの結論は、いろんなことを楽しめる人間になってしまうことだと思う。

仕事や家事や人とのコミュニケーションなど、そういった人生でやらなければいけないことを、楽しくてしょうがないと思えるようになれば、それが楽な人生なのではないだろうか。

さらに、人生を生きていれば、ネガティブな意味で、自分の想像を遥かに超えるような出来事というのは必ず起きるだろう。

そういった時にもその状況を楽しめる人間になってしまえば、最強なのではないかと、僕は思う。

そのためには努力をするしかない。

そして、その努力すらも、

「だから、おもしろい」

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