この世の終わり、人生の終わり

この世の終わり、人生の終わり

自分はゼロの状態だということを理解すること。

自分がいなくなったところでこの地球は何も変わらないし、逆に自分が何かをやったとしても、地球は何も変わらない。

自分がいたところで別に意味なんてない。

自分の存在というのは、地球規模のマクロな視点から見ると、意味はない、ということを理解していると、自分が何をやったって、逆に何をやらなくたって、なんの影響もないということを理解できる。

だから、 やる気がなかったら何もしなくていいし、逆に何かやろうかなって思ったらやればいい。

どんなに歴史的にとてつもない発明や発見をした偉人でも、実際彼らがいなかったところで、地球は何も変わらなかっただろう。

なぜなら、どうせ彼らの数年後、数十年後には誰かが同じような偉業を達成していただろうからだ。

数年、数十年というのは、地球規模で考えればただの誤差だ。

逆に、自分が失敗したところで何も変わらないし、誰も何とも思わない。

人は他人の失敗など覚えていないのでそんなことをいちいち気にする必要は無い。

2006年のサッカーW杯の決勝戦、イタリア対フランスの試合は1-1のままPK戦へと突入した。

そして、フランスのキッカー、ダビド・トレゼゲが唯一PKを外し、フランスは敗れ、イタリアが優勝した。

僕はずっとイタリアを応援していたので、有頂天だったが、試合後のトレゼゲのインタビューを今でも覚えている。

トレゼゲはこう語っていた。

「それでも人生は続いていく」と。

その通りだと僕は思った。

2006年のW杯の決勝でトレゼゲがPKを外したことは多くの人が覚えているかもしれないが、その後、フランスは2018年のW杯で優勝した。

フランス人はみんな有頂天だ。その時に誰もトレゼゲのPK失敗をとやかく言ったりはしない。

たとえ自分が大きな失敗をして、これでこの世の終わりだと思っても、この世が終わるまではこの世の終わりではないし、どんなに自分がこれで人生終わったと思っても、人生が終わるまでは人生の終わりではない。

1994年のエスコバルのように死んでしまっては、人生は終わりだが、生きている限り人生は続く。

何もなかったかのように地球は周り続けるし、ただ人生が続いていくだけ。

当然生きていれば良い時もあるし悪いときもある。良い時と悪い時を繰り返し、そしていつか死ぬ。

ただそれだけのことだ。

人生とは近くで見ると悲劇だが、遠くから見ればそれは喜劇なのだ。

マクロの視点から見れば人間の人生なんてそんなものだ。自分がどんな人生を送ろうと世界は何も変わらない。

なので好き勝手に生きれば良いのだ。

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